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昭和47年(1972)、東京の北西部に突如出現した高島平団地。 |
「サークルするものこの指とまれ」
たくさん届いた多様な趣味やスポーツの応募をジャンルごとに分け、集まった大勢の人々に仲介役として立会い、サークル作りのお手伝いをしました。野球などではさすがマンモス団地、元プロから草野球まで多くの人が集まりました。 現在でもその時に誕生した多くのサークルが活動を続けています。 社長が「ふるさと教育」
街の人達から「町の歴史の生き証人」「町の語り部」ともいわれています。 編集部は地元主婦記者
広場、通りの名前の名付け親
「高島平団地わが街へのネーミング実行委員会」として、高島平二丁目団地自治会、高島平三丁目自治会、高島平団地店舗会連合会、東京相互銀行高島平店(現東京スター銀行高島平支店)、東武ストア高島平店、松坂屋ストア高島平店と推進組織を結成、「地域住民が地域に名前をつける」という試みを行ないました。 決定した名称の提案者には賞金も出ることもあり、団地住民から2,268件ものネーミング応募が集まりました。 この時に決められた40ヵ所の名称は「さくら通り」「けやき通り」「お山の広場」「けやき広場」「おまわりさん通り」など今でも地域に浸透しています。 高島少年野球連盟 高島平新聞社杯
ところが平成15年2月、同連盟の事務局を務めていたスポーツ用品店「キングスポーツ」の閉店に伴い、一時同大会の継続が危ぶまれる事態となりました。 しかし、「地域の野球少年たちのために高島杯の存続を」という多くの要望に応え、平成15年10月からは本紙が事務局を引継ぎ、大会は『高島少年野球連盟 高島平新聞社杯』として継続することとなりました。 現在では、地域内の全8チーム、約300人の野球少年たちが春・秋季の年2回、大会で熱戦を繰り広げています。 まちづくり会社
この現状に対し、本紙を含めた地元有識者と、高島平に学園の本拠を構える大東文化大学環境創造学部の教授陣らにより、「地域・大学連携による高島平の再生と活性化」を目的に「高島平再生プロジェクト」として勉強会を行なってきました。 その中では「団地空き室対策事業」としての留学生を含む大学生の団地共住や「地域通貨の流通」、ペットボトルキャップなどの「リサイクル事業」など多岐にわたり議論が進められました。 そして平成18年12月、この活動の事業体として地元有識者と大学教授らの出資により「環境創造カンパニーLLC(合同会社)」を設立(本紙村中義雄社長は取締役会長に就任)。世にも珍しい“まちづくり会社”として「地域の再生と活性化」のための活動を開始しました。 高島平再生プロジェクト 環境創造カンパニー |