●●● 高島平新聞とは ●●●

 昭和47年(1972)、東京の北西部に突如出現した高島平団地。
 東洋一のマンモス団地、という鳴り物入りで建てられたにもかかわらず、どこに行けば何が売っているのかさえわからない。
 たばこ1つ買うのにも苦労している住民。1年足らずの間に一挙に3万人が住む街に。住民は戸惑った。小紙・村中義雄社長は、立ちあがった。
 新聞作りのノウハウは知っていた。 「ハードを公団が造ったのなら、ソフトは私が創る」と、高島平団地住民むけの情報紙を創ることを決心。 昭和47年5月20日、高島平新聞の前身「団地新聞・高島平」を創刊。 タブロイド判4ページ、チラシのような新聞ではあったが、記念すべき第1号。
創刊号の写真
創刊号の団地新聞・高島平


 その後、団地を中心として街ができ「高島平新聞」へと題号を変更。
 取材エリアを広げ、発行部数も伸び「頑張って、いい新聞創っているね」 とNTTタウン誌大賞・奨励賞を受賞。賞金で一杯飲んで大騒ぎして喜んだ。 ご褒美に編集長からスタッフに金貨が1枚ずつプレゼントされた。

 平成14年創刊30年を通過。「街の元気を応援します!」がコンセプト。
 この人知ってる、を大切に地元密着がモットー。 高島平地域の地元情報満載。街にとってはなくてはならない存在に。 カラー印刷も始められた。

 現在、タブロイド16ページが建ページで、22,500部、 地域世帯の75%に当たる新聞が配布されている。2010年1月号で創刊38周年、475号。




●●● 活動 ●●●

「サークルするものこの指とまれ」

この指とまれ
 高島平には100を越すサークルがあります。高島平新聞社は創刊当時、新住民ばかりの交流のないできたてほやほやの街に「心のふれあい」と友達づくりのため、昭和47年10月、紙面上で「サークルするものこの指とまれ」という企画で地域住民に呼びかけました。

 たくさん届いた多様な趣味やスポーツの応募をジャンルごとに分け、集まった大勢の人々に仲介役として立会い、サークル作りのお手伝いをしました。野球などではさすがマンモス団地、元プロから草野球まで多くの人が集まりました。

 現在でもその時に誕生した多くのサークルが活動を続けています。


社長が「ふるさと教育」

ふるさと教育
 本紙社長、村中義雄は板橋区教育委員会から「板橋区教育人材バンク登録者」に認定されており、高島平団地ができた頃からの報道写真を中心に高島平地域の歴史を語り伝える「ふるさと教育」を近隣小学校から依頼され、講師を務めています。

 街の人達から「町の歴史の生き証人」「町の語り部」ともいわれています。


編集部は地元主婦記者

地元主婦記者
 高島平新聞社の記者は、高島平在住の主婦が中心となって活躍。地域に係わる政治・経済の取材はもちろん、女性ならではの口コミ情報やコミュニティー情報、便利・お得情報など、本当に地元住民が必要としている情報の取材に努力しています。


広場、通りの名前の名付け親

「名称」募集
 本紙は高島平団地入居から5年経った昭和52年6月、当時公団がつけた高島平団地地域の公園・広場・通りの名称が「A地区」など無機質だったことに対し、紙面で住民からの「名称」募集を呼びかけることを主唱。

 「高島平団地わが街へのネーミング実行委員会」として、高島平二丁目団地自治会、高島平三丁目自治会、高島平団地店舗会連合会、東京相互銀行高島平店(現東京スター銀行高島平支店)、東武ストア高島平店、松坂屋ストア高島平店と推進組織を結成、「地域住民が地域に名前をつける」という試みを行ないました。

 決定した名称の提案者には賞金も出ることもあり、団地住民から2,268件ものネーミング応募が集まりました。

 この時に決められた40ヵ所の名称は「さくら通り」「けやき通り」「お山の広場」「けやき広場」「おまわりさん通り」など今でも地域に浸透しています。


高島少年野球連盟 高島平新聞社杯

高島杯選手宣誓
 昭和51年、高島平地域の少年野球チームで設立された「高島少年野球連盟」。地域の最強チームを決する同連盟主催の「高島杯」の少年野球大会は平成15年までに66回の大会を行ない、地域から数多くの野球少年たちを輩出してきました。

 ところが平成15年2月、同連盟の事務局を務めていたスポーツ用品店「キングスポーツ」の閉店に伴い、一時同大会の継続が危ぶまれる事態となりました。

 しかし、「地域の野球少年たちのために高島杯の存続を」という多くの要望に応え、平成15年10月からは本紙が事務局を引継ぎ、大会は『高島少年野球連盟 高島平新聞社杯』として継続することとなりました。

 現在では、地域内の全8チーム、約300人の野球少年たちが春・秋季の年2回、大会で熱戦を繰り広げています。


まちづくり会社

環境創造
 かつて東洋一のマンモス団地といわれ、入居希望者も多く、人気の高かった高島平団地。しかし、近年では空き室、空店舗の増加、極端に進む少子化・高齢化、人口減など多くの問題に直面しています。

 この現状に対し、本紙を含めた地元有識者と、高島平に学園の本拠を構える大東文化大学環境創造学部の教授陣らにより、「地域・大学連携による高島平の再生と活性化」を目的に「高島平再生プロジェクト」として勉強会を行なってきました。

 その中では「団地空き室対策事業」としての留学生を含む大学生の団地共住や「地域通貨の流通」、ペットボトルキャップなどの「リサイクル事業」など多岐にわたり議論が進められました。

 そして平成18年12月、この活動の事業体として地元有識者と大学教授らの出資により「環境創造カンパニーLLC(合同会社)」を設立(本紙村中義雄社長は取締役会長に就任)。世にも珍しい“まちづくり会社”として「地域の再生と活性化」のための活動を開始しました。

高島平再生プロジェクト

環境創造カンパニー